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レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は何が凄いのか?

  • 2021年3月16日
  • 2021年3月18日
  • 西洋画
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レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」出典:Wikipedia

結論

レオナルド・ダ・ヴィンチは「最後の晩餐」で、類まれな技術を用いてルネサンス芸術を完成させ、彼の作り上げた芸術は数百年に渡って美の規範となったという意味でこの作品は名画と呼ばれています。

具体的には「描写力」「構図」「遠近法」が挙げられますが、さらにこの名画が辿った500年に渡る修復の歴史も人々の関心を集める理由であります。

「最後の晩餐」とはどんな作品?

ではそもそも「最後の晩餐」とはどのような作品なのでしょうか?

「レオナルド・ダ・ヴィンチ自画像」出典:Wikipedia

「最後の晩餐」は「モナ・リザ」など世界的な名画を生み出したレオナルド・ダ・ヴィンチが1495年から約3年の歳月をかけて制作した壁画で、図版や写真などで誰もが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。「最後の晩餐」は完成後すぐに評判となり、当時の著名な学者や文化人らが「奇跡のごとき」作品と大絶賛しました。

「最後の晩餐」は聖書に登場する一場面が描かれています。キリストが十字架にかけられる前日の夜、12人の弟子たちと共に食事をした際に「この中に裏切り者がいる」と宣言する緊迫の場面を、迫真の描写力で表現しています。

そこにはレオナルドの類まれな技術と野心が詰め込まれており、ルネサンス芸術の粋を集めた作品としてレオナルドの地位を確固なものとしました。

しかし「最後の晩餐」ほど時代に翻弄された名画はなく、現在残っているのが奇跡といっても過言ではありません。完成から500年以上が経った現在でもその人気は衰えることを知りません。

今回は「最後の晩餐」に隠された秘密と、なぜこの作品が名画といわれるのか、その理由であるレオナルドの驚くベき技術を3つに分けて説明していきます。

「最後の晩餐」に隠された驚くべき技術

1. 人間味あふれる描写

ここからは「最後の晩餐」が名画といわれる理由を一つ一つ解説していきます。まず一つ目は、レオナルドが仕掛けた極めて大胆な描写が挙げられます。

「最後の晩餐」はたびたび西洋の絵画に登場する割とポピュラーな題材で、中世のモザイク画やルネサンス以前のフレスコ画にもたびたび登場します。しかし、その多くは静的で登場人物たちに動きはありません。

「最後の晩餐(初期キリスト教美術)サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂」出典:徳島大学総合科学部

しかし、レオナルドの「最後の晩餐」では、ある者は驚き、ある者は泣き、またある者は真意を確かめようと詰め寄るなど、個々の使徒の感情の起伏が見て取れます。レオナルドの革新性はここに表れており、つまり、それまで無個性だったそれぞれの使徒に明確なキャラクターを与え、その光景を劇的なドラマとして表現したのです。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐(部分)」

ルネサンスとは正に、そのような人間性が回復した時代でもあります。フランス語の「Renaissance(ルネサンス)」が「再生」を意味するように、それまでの中世が支配していたキリスト教の力が弱まり、その代わり人間が生き生きと活躍していた古代ギリシャ・ローマ時代の文化を復活させようという機運が生まれたのがレオナルドの生きた時代です。

それ以前の静的で直立不動の人間のスタイルから血の通った人間のらしさを表現し、見るものに臨場感を与えたという点でこの作品は評価されているのです。

2. ドラマチックな構図

二つ目はドラマチックな構図がポイントです。
レオナルドの「最後の晩餐」が描かれたのと同時期の画家、フィレンツェのギルランダイオが描いた「最後の晩餐」では裏切り者のユダはテーブルの手前に座り、光輪が省かれるなど一目でキリストと裏切り者ユダの関係がわかるように配置されています。

ドメニコ・ギルランダイオ「最後の晩餐」出典:Wikipedia

それに対して、レオナルドの「最後の晩餐」ではキリストと使徒はユダも含めて一列に配置されています。この配置にはレオナルドも相当頭を悩ませたようで手稿にはユダだけを手前に座らせる構図も考えた痕跡が残っています。しかし、結果的に裏切り者であるユダも他の使徒と同列に配し、一見するとユダがどこにいるか特定できない極めて曖昧な表現をしています。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐(部分)」

それはつまり、レオナルドにとって「キリスト・使徒・裏切り者のユダ」という単純な図式を示すことに主眼があったのではなく、そこで繰り広げられる人間の驚きや怒り、悲しみといった感情を表す方にこそ関心があったものと考えられるのです。

レオナルドは使徒を4つのグループに分け、キリストを挟んで左右に3人ずつの塊を成し、キリストの言葉が衝撃波のように大きく波打って伝播する様子を見事に描いています。

さらにいうと、それぞれの使徒の感情的で動的な様子とは対照的に中央のキリストは静的で不動の姿で表現されています。ルネサンス芸術の特徴の一つに安定感のある三角形の構図を挙げることができます。キリストは正に両腕を広げ三角形のポーズをとっています。俗なる人間と聖なるキリストをこのように明確に描き分ける発想も凄いです。

3. 遠近法の発展

三つ目のポイントは線遠近法を用いた構図にあります。当時は透視図法と呼ばれたこの絵画技法はルネサンス期に確立し、三次元の世界を二次元にうつし、人間の見た目に近い表現が可能となる画期的な方法として多くの画家が取り入れていきました。

「最後の晩餐」でも両サイドのタペストリーの上辺を線で辿っていくとキリストに向かって線が集中しているのがわかると思います。その他、天井の格子や横長のテーブルのサイドの辺を結んでいくと、その線はキリストの右のこめかみに集まっており、透視図法の消失点がそこに設定されているのがわかります。実際キリストのこめかみからは制作に使ったであろう釘痕が残っているのです。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」(一点透視図法の消失点)

キリストの背後には明るい窓が設置され、暗い背景の中で、キリストを浮かび上がらせる効果もあります。また背後の壁には半円のアーチがキリストの頭上に描かれており、光輪の役割も担っています。

このように見る者の視線を巧みにリードし、自然とキリストに目がいくよう仕向けられています。中央で神々しく構える人物を見て、当時の文字が読めない人も彼がキリストだと理解したことでしょう。

このようにレオナルドの「最後の晩餐」は「人間性ある描写」と「劇的な構図」「完成された遠近法」が天才的に一致し、確固たる中心を持ち均整の取れた統一的な作品といえます。その絵の前に立つと今そこにキリストがいるかのような臨場感が味わえるはずです。

「最後の晩餐」がたどった激動の歴史

ここからは「最後の晩餐」が辿った激動の歴史をご紹介します。完成から約500年が経過していますが、過去にこれほど過酷な状況に遭った名画があっただろうかと思うくらい、この絵は数奇な運命を辿りました。それは今この世に現存しているのが不思議なくらいです。この絵が名画と呼ばれているのは奇跡的に生き残ったからかもしれません。

テンペラ技法が悲劇の始まり

レオナルドは「最後の晩餐」で全く新しい技法に挑戦します。卵を用いるテンペラ画と油彩画の混合技法でこの絵を描きました。当時、壁画などには一般的にフレスコ技法が使われることが多かったのですが、レオナルドは筆が遅いためスピードが求められるフレスコを嫌い、何度も塗り重ねができる卵と油の折衷型テンペラ技法を選択しました。しかしそれが悲劇の始まりとなります。

フレスコ画と違いテンペラと油彩の混合技法では下地の鉛白に絵具が定着しません。おまけに描かれた場所がサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ聖堂に隣接する修道院の食堂とあって、湿気にも悩まされました。結果、完成後わずか20年ほどで絵具の剥落が始まり、黒いカビに覆われたといいます。

100年経たずにシミだらけ

完成後から傷み始めた「最後の晩餐」ですが、資料によると70年後には「もはやシミの塊にすぎない」という記述があり、さらに94年後には「大部分破損」という記録もあります。さらに悲劇は続き、完成してから154年後には食堂内に扉を設置するため中央下部が切除されたのです。それにより今でもキリストの足元は空白となっています。

「最後の晩餐」(扉が開けられた部分)

最大の試練、爆撃で屋根が吹っ飛ぶ

その後も苦難は続きます。18世紀末のナポレオンの時代には食堂は馬小屋として使われ、動物の呼気や排泄物によるガスで損傷はますます進みました。また、ナポレオン軍の兵隊に石や煉瓦を投げつけられたという記録もあります。

そして極めつきは1943年のアメリカ軍によるミラノ空爆です。修道院も空爆の被害を受け、食堂の屋根が吹き飛びました。その時、壁画を守ろうと修道士たちが土嚢を積み上げていたため、壁画はかろうじて難を逃れたのです。

大規模な修復作業は数回におよぶ

そのような状況もあり、当然ながらそれぞれの時代において、その都度修復が行われてきました。しかし、その修復がさらなる悲劇を生みます。

18世紀には大規模な修復が行われ、作品のほぼ全てに手が加えられましたが、担当した修復士は自分の趣味や憶測にもとづいて任意に描き直してしまったといいます。その後もキリストの口が閉じられたり、顔の向きが変えられたりしました。19世紀前半には壁画を壁から剥がそうとして大きな亀裂も入りました。

修正と中断を繰り返した過去の修復では、剥落した絵具を固定し絵肌を安定させようとしましたが、ニスや樹脂、ロウなどで塗り固めようとすればするほど剥落が進んでいきました。19世紀後半には「まるで月の表面のようだった」というところまで損傷が進んでいったのです。

今世紀最後にして最大の修復

レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐(修復前)」

1977年に史上最大規模の修復が開始されました。「最後の晩餐」が完成してから実に479年後のことです。

担当したのは女性修復家ブランビッチ氏で、彼女は20年以上の歳月をかけて修復を行い「最後の晩餐」の完成から501年を経た1999年にようやく終了しました。

最後の修復はそれまでとは違い、補筆はせず洗浄作業のみを行っています。汚れや塵を落とすだけではなく科学的根拠にもとづき、後世に加えられた顔料などは全て筆で丹念に取り除かれたといいます。これによりレオナルドが描いたオリジナルにかなり近づいたことになります。

まとめ

レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」出典:Wikipedia

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は間違いなく西洋美術史の中でトップクラスの知名度と人気度を誇る作品です。

そこにはレオナルドの類まれな才能と技術の結晶が詰め込まれています。
使徒たちの人間味あふれる感情表現はそれまでの芸術とは一線を画す画期的なもので、正にルネサンスの表現様式といえます。

構図の面でもキリストの突然の告白によって使徒たちの慌てふためく様子が波打つような絶妙な配置で表されています。使徒たちとキリストの「動と静」の対比も考え抜かれた演出です。

ルネサンス芸術の特徴の一つである透視図法を巧みに使いこなし、見る者が自然とキリストの方に意識が向くよう計算されている点も素晴らしい。ルネサンス芸術の特徴を遺憾なく表現してるといえます。

また「最後の晩餐」が辿った数奇な運命も忘れてはなりません。相次ぐ剥落と損傷により、偉大な芸術の喪失という危機に直面しましたが、その都度、修復や保存活動が試みられてきました。結果的に最後の修復によって、現状はレオナルドが作り上げたオリジナルに近い作品を私たちは目にすることができます。

レオナルドの技術によって全く新しい形の芸術が生み出され、またキリスト同様、受難に見舞われたこの作品が辿った数奇な歴史が「最後の晩餐」を名画と呼ぶにふさわしいものとしているのです。


【参考文献】
「レオナルド・ダ・ヴィンチを旅する:没後500年 (別冊太陽)」監修:池上英洋 平凡社
「ダ・ヴィンチ全作品・全解剖」(Pen BOOKS)
「レオナルド・ダ・ヴィンチ・上」ウォルター・アイザックソン著 文藝春秋
「レオナルド・ダ・ヴィンチ・下」ウォルター・アイザックソン著 文藝春秋
「もっと知りたいレオナルド・ダ・ヴィンチ 改訂版 生涯と作品」 (アート・ビギナーズ・コレクション)
「よみがえる最後の晩餐」NHK出版

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