「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」がいよいよ開幕。新型コロナウイルスの影響で約3ヶ月遅れてのスタートとなりましたが、珠玉の名作が来日するとあって非常に話題となっています。
イギリスが誇る名画の宝庫であるロンドン・ナショナル・ギャラリーは13世紀から20世紀までのヨーロッパ絵画を中心とした作品、約2300点を所蔵し、年間の来館者数は約600万人と世界の美術館・博物館でトップ10に入る世界屈指の美の殿堂となっています。
所蔵作品はレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ベラスケス、フェルメール、モネ、セザンヌ、ゴッホなど超がつく名作ばかりで、しかも、長い歴史の中で、イギリス国外で所蔵作品をまとまった形で展示したことがなく、文字通り今回日本で展示される約60点はまさに史上初となります。
見どころとしては、フェルメールやレンブラント、ベラスケスやターナー、モネやルノアールなど数え上げたらキリがありませんが、中でも注目はやはりゴッホの「ひまわり」です。
ゴッホは花瓶に生けたひまわりの絵を生涯に7点描いたとされますが、中でもロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵の「ひまわり」を一番好んでいました。そこで、今回はゴッホの「ひまわり」全7点をご紹介すると共に、ゴッホが情熱を注いだ美の結晶をご堪能いただければと思います。
ゴッホにとって「ひまわり」とは?
「ひまわり」の画家とも称されるゴッホですが、彼にとって「ひまわり」の黄色は幸福の象徴であり、特にゴーガンとの共同生活を夢見る希望の色でもありました。新しい生活による期待や高揚感から厚塗りでエネルギッシュな「ひまわり」は生まれたのです。
ひまわり単体ではアルルにやってくる前のパリ時代にも描かれていますが「花瓶に挿されたひまわりをモチーフとした油絵」となると1888年〜89年の間に描かれた7点しかなく、現存するのはそのうちの6点となっています。
最初の「ひまわり」(個人蔵/アメリカ)
最初に描かれた「ひまわり」は1888年夏、友人のゴーガンを迎え入れるために描かれたもので南仏アルルでの新しい生活の象徴でもあり、ゴーガンとの友情の証でもありました。
ゴッホ自身「アトリエを6点ほどのひまわりで飾ろうと思っている」と述べているように、ゴーガンとの共同生活への心躍る心情が見て取れます。
2作目の「ひまわり」(焼失)
2作目とされる「ひまわり」は1920年に実業家の山本顧彌太氏により7万フラン(現在の価値で約2億円)にて購入されました。東京や大阪などで展示され、好評を博したという記録がありますが、太平洋戦争末期の1945年、空襲により焼失してしまいました。
3作目の「ひまわり」(ノイエ・ピナコテーク/ミュンヘン)
通称「12本のひまわり」は、それまでの「ひまわり」と比べると花の数が倍増しています。ゴッホはゴーガンとの共同生活を夢見て4点の「ひまわり」の連作を描きましたが、本作の「ひまわり」(と後述の4作目)にはゴーガンの寝室に飾るのにふさわしいとして自らサインをしています。
4作品目の「ひまわり」(ロンドン・ナショナル・ギャラリー/ロンドン)
3作品目と同様、ゴッホ自らがサインをした作品で、以上4点の「ひまわり」は南仏アルルでゴーガンとの共同生活を夢見て描いた希望に満ちた「ひまわり」です。
黄色を主体とした生き生きとした色彩、激しく波打つようなタッチは観る者に喜びや幸福感といった感情を喚起させます。ゴーガンは4作目の「ひまわり」に関して「フィンセントの作風を本質的に表した本質的な1枚」と絶賛していますし、非常に完成度が高い作品といえます。
4作目の「ひまわり」でゴッホは大胆な変更を加えました。背景をそれまでの青から黄色に変えているのです。ゴッホは自らの課題として「明るい背景に明るい色」を組み合わせる方法を模索していましたが、全てを黄色で統一した本作は南仏アルルの光り輝く陽光をうまく表し、神々しい光の表現にまで昇華させていると評価されています。
5作目の「ひまわり」(SOMPO美術館/東京)
5作目の「ひまわり」は日本にあります。5作目はゴーガンとの共同生活が始まってから描かれたものですが、実は4作目をもとに描かれたため、構図はほぼ一緒といえます。しかし、ディテールの色遣いや細かいタッチ、質感などは5作目の方がより緻密になっています。
本作は1987年、安田火災海上(現・損害保険ジャパン)がオークションにて2250万ポンド(当時の為替レートで約53億円)にて落札したことでも話題となりました。
6作目の「ひまわり」(ゴッホ美術館/アムステルダム)
ゴーガンとの夢の共同生活は約2ヶ月で破綻し、ゴッホは自ら耳を切り落とし病院へ入院することとなります。本作は病院を退院後に描かれたもので、前年のロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵をもとに描かれたとされ、ひまわりの数も15本となっています。
7作目の「ひまわり」(フィラデルフィア美術館/フィラデルフィア)
6作目と同じ時期に描かれたもので、ノイエ・ピナコテーク蔵をもとに描かれたのか、背景はブルー系に戻っています。花の数も12本となるなど変化があります。
ゴッホはその後、精神に異常をきたし自ら療養所に入院します。そして1890年の7月、自ら腹に銃弾を打ち込み自死しました。享年37歳。
ゴッホが画家を目指したのが27歳ですからゴッホの画家人生はほんの10年足らずしかありません。その中で、ゴッホにとってアルル時代というのは情熱を燃やし続けた、希望と期待に満ちた輝かしい時代であり、多くの珠玉の作品を残した時代といえます。
その象徴ともいえるのが「ひまわり」の連作です。神々しいまでにエネルギッシュに描かれた「ひまわり」はゴッホの生きた証であり、ひと夏に燦然と輝くひまわりのごとく、短い人生を燃焼させたゴッホの生き様そのものといえます。