ラファエロはルネサンス期のイタリア人画家で、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並ぶ盛期ルネサンスを代表する三巨匠の一人である。現在でも非常に人気が高く、特にキリストやその母であるマリアを数多く描き、聖母子の画家と呼ばれている。ラファエロは、近代以前は西洋絵画の古典として長くトップの座に君臣していた。そのラファエロの魅力に迫りたいと思う。
ラファエロの生い立ち
ラファエロ・サンティは1483年、イタリア中央のウルビーノ公国に画家の息子として生まれた。幼い頃から絵の才能に恵まれ、いくつかの工房に弟子入りして絵の修行を積んでいった。
ラファエロの作品は工房システムから生み出された
実はラファエロは37歳で亡くなるという夭逝の画家なのだが、残した作品は非常に多い。なぜこのようなことができたかというと、ラファエロは工房を構え多くの弟子を抱えていたからだ。その弟子の数は50人にのぼるという。
ラファエロは西洋絵画の古典だった
ラファエロの残した作品には「大公の聖母(1504年頃)」や「アテナイの学堂(1509-10)」など誰でも一度は目にしたことのある絵が多いのだが、そのような有名な作品を残したことで、ラファエロは古典絵画のお手本と見なされていた。
19世紀中頃にイギリスで古典主義への反発から「ラファエル前派」と呼ばれる集団が生まれるのだが、彼らは古典主義の象徴であるラファエロより以前の芸術的価値を追求することを目的としていた。つまり 19世紀のイギリスでは古典主義=ラファエロだったのだ。
ラファエロは遠近法と陰影法を完璧にこなす
ではなぜ、ラファエロが古典となったのか。それはルネサンスが到達した絵画技法にある。ルネサンス期に絵画技法が飛躍的に高まり、遠近法と陰影法が確立された。
遠近法は「線遠近法」のことで「一点透視図法」とも呼ばれる。画面の一点に消失点を設け放射状に外に向かっていく画面構成のことである。
陰影法は油彩画によって可能となった技法で、滑らかなグラデーションでモノの影を描き立体感を表現する。ダ・ヴィンチを始めルネサンスの画家が熱心に研究していった。
「アテナイの学堂」
ラファエロはダ・ヴィンチをお手本にしていたし、非常にリスペクトもしていた。有名な「アテナイの学堂」でも中央のメインに配置されたプラトンはダ・ヴィンチがモデルだし、ダ・ヴィンチが得意とした遠近法を完璧に作品に昇華させている。ちなみにこの絵の中ではアペレスという画家に扮してファラエロ自身も出演している。
ラファエロはローマ教皇に気に入られ、それによってヴァチカン宮殿の「署名の間」に「アテナイの学堂」を描くことができた。また、肖像画でも「ユリウス2世の肖像」やローマ教皇「レオ10世の肖像」など権力者からの依頼も多かった。
ラファエロは絵の腕前はもとより工房を統括する管理者としての一面や有力な権力者とも巧みに交渉できるコミュニケーション能力に長けていた。それにより今でも最高級の作品が世界中の美術館や宮殿、教会などで目にすることができるのだ。