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近代美人画の大家、西の上村松園、東の鏑木清方とは?

  • 2020年1月17日
  • 2020年6月29日
  • 日本画
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美人画とは読んで字のごとく「美人」を描く絵画のことだが、意外にも「美人画」というジャンルがあるのは日本だけだという。その美人画もルーツは江戸時代の浮世絵にあった。そう、あの「見返り美人図」で有名な菱川師宣がその元祖とされる。そして美人画は鈴木春信や喜多川歌麿などに引き継がれていったが、近代になると二人の巨匠が美人画を牽引することになる。西の上村松園、東の鏑木清方だ。今回はその二人の実像に迫りたいと思う。

美人画・西の巨匠、上村松園とは?

上村松園

上村松園は明治8年に京都の葉茶屋の次女として生まれ、京都はもとより関西圏では知らない人はいない美人画の大家である。松園は「真・善・美」の極致を美人画に求め、それにより至った到達点は卑俗なもののない凛とした女性像といえる。

松園は幼い頃から絵が上手く、その才能を見抜いた母は松園を京都府画学校に通わせる。京都の重鎮、鈴木松年に師事し順調に絵のキャリアを積み、15歳の時には内国勧業博覧会に出品した作品が1等に選ばれ英国王族が買い上げるという栄誉を受ける。

その後、四条派の幸野楳嶺、京都画壇の巨匠、竹内栖鳳に師事し古典文学や能・謡曲などに基づいた凛とした美人画で独自の画境に達する。昭和23年には女性として初めての文化勲章を受章するなど京都のみならず日本を代表する美人画の大家となり、昭和24年74歳で亡くなった。

上村松園「序の舞」

松園の美人画は「真・善・美」の極致

絵に対して非常に熱心だった松園は古典の模写や謡曲の研究など画に全てを捧げた。ひたむきに画と向き合う松園は自身の絵について次のように語っている。

私は大抵女性の絵ばかりを描いている。しかし、女性は、美しければそれで良いとの気持ちで描いた事は、一度もない。
一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香り高い珠玉のような絵こそ私が、念願するところである。
私は、真・善・美の極地に達した本格的な美人画を描きたい。

上村松園「青眉抄」より

松園は画は単なる美人画を描いたのではなく、女性という人物を通して、女性の芯の強さやたおやかさ、優美さを兼ね備えた完全なる女性美を目指してたのである。そこには生涯にわたって松園をサポートし続けた母、仲子の存在があり晩年の美人画には最愛の母への思いが込められている。

美人画・東の巨匠、鏑木清方とは?

鏑木清方

東の巨匠、鏑木清方は明治11年神田の生まれ。父は戯作者として活躍し日刊紙の創刊にも携わった出版系の文化人。幼い頃から噺家や浮世絵師、新聞人、文化人などが出入りする環境で育った清方は13歳で月岡芳年の弟子、水野年方に入門し、挿絵画家として順調なスタートを切った。

清方は自身のスタイルを模索する中で、失われつつある江戸の下町が持っていた古き良き市井の人々の人情や風情、風俗を描くようになる。また、関東大震災以後は失われつつある明治の情景も制作のテーマとしていく。

鏑木清方「築地明石町(部分)」

「築地明石町」は清方美人画の最高峰とされるもので、実は44年もの間所在不明となっていた幻の作品である。築地外人居留地を訪れたモダンな髪型の女性がふと後ろを振り向いた一瞬を捉えた美人画。朝顔や薄ぼんやりした背景からは物語が感じられる清方の代表作である。

清方は洗練されたキリッとした線描の美人画を描くと同時に軽妙洒脱で優美な美人画も描いている。そこには幼少期より文化人に囲まれていた清方の教養が現れており、江戸の下町情緒が残る時代の空気感や風俗を粋な筆致で描き出そうとする清方独自の表現法が垣間見える。

鏑木清方「鰯」
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