鳥獣戯画、あまりに有名なこの絵巻は、美術に関心がない人でも一度は目にしたことがあると思います。ウサギやカエルなど、のびやかな筆づかいでユーモラスに描かれた絵巻は、ひとたび展覧会が開かれると長蛇の列。たくさんのグッズが作られるなど国民に愛されています。
しかし、この鳥獣戯画については、作者から制作時期まで、また何を目的として描かれたのか、どのように高山寺へ伝わったのかさえも分かっていません。分からないことが多い謎だらけの絵です。
近年の研究で少しずつその全容が解明されつつあります。その調査内容と併せて、世界に自慢できる「漫画のルーツ」鳥獣戯画の魅力について解説していきたいと思います。
鳥獣戯画はどんな絵巻?
鳥獣戯画、正確には「鳥獣人物戯画」といいますが、この絵巻は謎に包まれています。まず、作者が不明です。現在までに様々な説が唱えられてきました。その一つに京都の絵仏師、鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)というのがありますが、確たる証拠がなく現在では否定されています。
絵巻の構成は「甲・乙・丙・丁」の4つのパートから成り、特に甲巻の動物たちを戯画化した部分がのびやかな筆致とユーモラスな描写により最良とされています。また、近年の研究結果から同じ巻でも異なる紙が使われていたり、前半部分と後半部分が1枚の表裏に描かれていたことなどが判明しています。
漫画のルーツとして近年、特に注目を集める鳥獣戯画。ここからは具体的にその謎に迫っていきます。
作者について?
鳥羽僧正覚猷といわれてきた
鳥獣戯画の作者は長らく鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)とされてきました。覚猷は平安時代後期の天台宗の僧で、天台座主という天台宗で一番えらい地位に上り詰めた人物です。
密教の修行の傍ら画技にも通じ類まれな才能を発揮したことから「近き世にならびなき絵書(えかき)なり」と称されました。また「鳥羽絵」の創始者として浮世絵漫画にも影響を与えています。
画技をよくし、『古今著聞集』には風刺画に巧みであったと伝えられ、後世の滑稽な戯画を指す鳥羽絵の名称の起源ともなっている。
「鳥羽僧正」(ジャパンナレッジ)
このように戯画や滑稽画を得意としていたため、覚猷が作者とされてきましたが、それを示す明確な資料が乏しいため、現在では否定されています。
絵仏師だという説
鳥獣戯画は作者も制作年も異なることが指摘されているので、当然作者も複数いることになります。では、どういった人物がかかわったのか。
現在では2つの説が唱えられていて、1つは宮廷絵所の絵師。もう1つは仏像や仏画を描く絵仏師で、現在では絵仏師との見方が大きいです。
東京国立博物館の主任研究員、土屋貴裕氏は展覧会の報道向け記者会見で次のように語っています。
甲・乙・丙・丁の4巻の料紙が、通常の絵画作品に用いられることがない紙であることを指摘。書き損じた反故紙(ほごがみ)を漉いて、寺院の文書などで日常的に使っていたものであったことから、「作画環境に関しては寺院の可能性が高い」としている。
「『鳥獣戯画』は誰がどこで描いた? 東京国立博物館に現存作品が集結」 ハフポスト
鳥獣戯画各巻の内容は?
鳥獣戯画では大小さまざまな動物たちが擬人化されて描かれていますが、このような発想はどこから来るのでしょうか。そこには当時流行っていた「散楽(さんがく)」から派生した「猿楽」や「動物説話」が関係しているようです。
平安時代の京の都で大流行していた「猿楽」は、即興の物まね芸、滑稽きわまりない余興芸など、さまざまな種類の大衆芸能からなっており、蛙や猿などの動物の生態に関連由来する芸なども路上で自由に演じられてもいました。また、当時の貴族階級では、猿・鳥・兎・狐などが多数登場する動物説話が愛好されていたこともあり、これらの文芸的背景のもとに動物の擬人化という発想が生まれたと考察されます。
「鳥獣人物戯画(甲・乙巻)絵巻物完全復刻シリーズ」秋山光和(監修)
このように擬人化された戯画はそれ以前にも描かれていましたが、鳥獣戯画は卓越した筆づかいと描写力によってその頂点と位置付けられているのです。
ここからは各巻の特徴について解説していきます。
甲巻 – のびのびとした筆づかいでユーモアたっぷりに動物を描く
鳥獣戯画は4巻からなり、最初の甲巻では猿やウサギ、カエルなど擬人化された11種類の動物たちが、さまざまに動き回る様子が描かれています。4つのうちで甲巻が最も評価が高く、躍動感あふれる筆致とユーモラスな表情が特徴です。
また、最も有名な場面のカエルがウサギを投げ飛ばすシーンではウサギの背中に引かれた墨の線は躍動的で迷いがありません。カエルの輪郭線も無駄のない生き生きとした筆づかいで、周りのカエルたちの戯けた表情も愛くるしいの一言です。
カエルの口からは煙のようなものが飛び出していて、さながら漫画の吹き出しのようです。説明書きなどは一切ありませんが、効果音やセリフが聞こえてきそうです。
その当時の宮中の年中行事では相撲節(すまいせち)が行われ、諸国から相撲人(すまいびと)が招かれ天皇がその取り組みを観戦するという習慣があったそうです。この場面はそのパロディーとされます。
乙巻 – 動物の生態をリアルに描く
乙巻では、16種類の動物が描かれています。前半は馬や牛、鷹、鶏といった日本で見られる動物が描かれ、後半は、空想上の動物や海外の生き物である霊獣水犀や麒麟、獅子、龍などが登場します。
岩山や樹木などは「皴法(しゅんぽう)」という技法を使い、筆のタッチを変えて量感・質感を出すなど卓越した技量を見せます。ゆえに乙巻は動植物の絵手本ではないかとの見方もあります。
丙巻 – 人物が登場する人物戯画
丙巻と後に続く丁巻は鎌倉時代の作とされ、平安時代後期に作成された甲・乙巻とは時代が異なります。
丙巻の前半には人間が登場します。囲碁に興じる僧と稚児に続き、賭双六の模様が描かれるなど人物戯画となっています。
後半では、甲巻と同じく擬人化された動物が描かれ、荷車をお祭りの山車(だし)に見立てて遊んだりする場面が描かれています。
丁巻 – 勝負事を中心に人物をバラエティ豊かに描く
最後の巻である丁巻は人物が主体で勝負事が多くなっています。甲巻や丙巻で用いられたモチーフを使い、法会(ほうえ)や流鏑馬(やぶさめ)、木遣り、侏儒(しゅじゅ)の曲芸といったシーンが軽妙な筆づかいでユーモアたっぷりに描かれています。
新事実!調査研究で分かったこと
甲巻の前半と後半で違う紙が使われていた
2004年から朝日新聞文化財団の助成を受けて4年がかりの解体修理が行われ、それにより新たな事実が判明しました。甲巻の前半と後半で使われている紙が違うというのです。
甲巻の前半(1~10枚目)と、後半(11~23枚目)では、使われている紙が違うことがわかったという。作者が異なるという説を補強する材料になるとみられる。
「修理報告書「鳥獣戯画 修理から見えてきた世界」(勉誠出版、京都国立博物館編)/朝日新聞デジタル「鳥獣戯画、ウサギの体形違う?前半と後半で別の作者か」より
また、甲巻の中盤と後半の絵の順番が入れ替わっていたことなども新たに判明しました。
丙巻内でも別の時代、作者によって描かれた可能性
また、丙巻の前半と後半はもともと1枚の表裏に描かれていたことなども判明したといいます。これにより人物戯画の前半と動物戯画の後半は別の時代、別の絵師によって描かれた可能性が出てきたというのです。
前半と後半の筆致に違いがあることから、別々に描かれた絵巻を合成して1巻とした巻とみられていたが、京都国立博物館による修復過程で元は表に人物画、裏に動物画を描いた1枚だった和紙を薄く2枚にはがし繋ぎ合わせて絵巻物に仕立て直したものだと分かった。19枚目の歩く蛙の絵に墨跡があり、2枚目のすごろく遊びをする人の絵と背中合わせにすると、19枚目の墨跡(烏帽子の滲み)と2枚目の人物画の烏帽子の位置と合致すると判明した後、この他にも1枚目と20枚目、3枚目と18枚目というように墨跡などが合致することが分かった。これにより元々は10枚の人物画の裏に動物画が描かれ、江戸時代に鑑賞しやすいように2枚に分けられたと推定されている。
「高山寺 監修/京都国立博物館 編 鳥獣戯画 修理から見えてきた世界 2016」(鳥獣人物戯画 Wikipediaより)
断簡で広がる鳥獣戯画の世界
調査研究とは別に、断簡(だんかん)と呼ばれる鳥獣戯画の一部分が存在することも分かっています。これは鳥獣戯画が今日に伝わる過程で、いくつかの場面が分かれたり失われたりしたものを、掛軸に仕立て直して伝えられたもので、現在、国内外で甲巻の断簡が4幅、丁巻の断簡が1幅確認されています。
鳥獣戯画の謎を解く上でこれらの断簡が今後、より重要な鍵になってくるものと思われます。
鳥獣戯画が伝わる高山寺とは?
ここからは鳥獣戯画が伝わった高山寺についてご説明していきます。
高山寺(こうさんじ)は京都市右京区栂尾(とがのお)にある真言宗系のお寺で、創建は奈良時代と伝わりますが、実質的には鎌倉時代に明恵上人(みょうえしょうにん)によって建立されました。
明恵上人について
明恵上人は鎌倉時代前期の僧で、華厳教と真言密教を融合した厳密(ごんみつ)と呼ばれる宗教観を確立したことで知られています。
学問としての仏教よりも実践としての仏道、つまり修行を重視し、きびしく戒律を守って自然との調和をはかり、また夢日記をつけたり、和歌に長じたりするなど多彩な面を持っています。
そして釈迦への想いが強すぎて起こしたのが自ら耳を切断をする「右耳事件」です。釈迦は世俗を離れるために髪を剃り落としましたが、明恵上人は釈迦と同じ境遇を得ようといろいろ悩み、目や鼻、手などを自傷しようとしますが、どれも修行に差し障るので、一番影響の少ない「耳」を選んだというものです。
異常のようにも思えるかも知れませんが、上人にとっては釈迦への想いを表す一番ピュアな方法だったのでしょう。
高山寺に伝わる宝物
高山寺には数々の文化財が伝わっています。国宝8点をはじめ重要文化財が50点以上など、絵画や彫刻、工芸品、書など多岐にわたる宝物が収められています。
「明恵上人像(樹上座禅像」や「仏眼仏母像」、「篆隷万象名義 」など、どれも貴重なものばかりです。
鳥獣戯画に関して高山寺ではレプリカでの展示となり、甲・丙巻は東京国立博物館、乙・丁巻が京都国立博物館での寄託保管となっています。
高山寺は日本最古の茶園
高山寺は日本で最初にお茶が作られた場所でもあります。日本に最初にお茶を伝えた栄西禅師は、宋から持ち帰ったお茶の実を明恵上人に渡し、山内での栽培が始まったと伝わります。お茶には修行の眠気を覚ます効果があり、その後日本各地にお茶が広まることとなりました。
鳥獣戯画を楽しむ絵巻の見方
ここからは鳥獣戯画を楽しむ上で欠かせない絵巻の見方を解説します。絵巻の見方が分かれば楽しさが倍増します。
絵巻はどのように鑑賞された?
そもそも鳥獣戯画などの絵巻はどのように鑑賞されたのでしょうか。絵巻の基本は、右から左に物語が展開するように見ることです。また、少しずつ巻き取りながら見ていくので、物語は展開しながらも各場面はスクリーンのように他の場面と分断して見られるようになっています。
絵巻を見るのは部屋に座って床ないしは低い机に巻物を置き、人の肩幅くらい(50~60cm程度)ずつ左側をスクロールしながら見ていく。右側も巻いて送り込みながら収めておく。最後に見終わったら、この逆にして戻していく。
「和本の楽しみ方2 絵巻物」橋口 侯之介
それは絵巻が時間と空間が右から左へ流れるように描かれているからである。時間の流れを追いながら、同時に空間の広がりも見せる特徴を持っているのだ。 座ってこのように巻物をくくると斜め上の角度から見ることになる。絵はそれを計算に入れて、斜め上空から下をながめた俯瞰描写になっているものが多い。
この展開の仕方こそ、絵巻がマンガ共通する所以でありますし、鳥獣戯画に至っては、その躍動する白描の描写力が「マンガの原点」と呼ぶにふさわしいのです。
異時同図法で動物たちの動きを感じる
「異時同図法」とは、呼んで字のごとく、過去と現在など異なった時間を同じ場面内に描くことです。同一の人やモノを同じ場面に複数描き、違った時間、あるいは時間の経過を示していきます。
鳥獣戯画、甲巻の最も有名なシーンも異時同図法で展開されています。画面右でウサギとカエルが取っ組み合いの喧嘩をしていますが、続く左のシーンではカエルがウサギを投げ飛ばしてウサギが尻餅をついています。カエルはしてやったりのガッツポーズ。
このように絵巻は右から左にストーリーが展開していき、鑑賞者は自分のペースで登場人物の様子やセリフなど想像しながら鑑賞していくのです。
まとめ
鳥獣戯画は謎の多い作品です。制作年も作者も目的もはっきりしないため、現在でもさまざまな調査や研究が続いています。
しかし、その筆づかいや巧みな描写力は高く評価されていて、ユーモアたっぷりのキャラクターや異時同図法のストーリー展開など「マンガの原点」と呼ぶにふさわしい日本の宝(国宝)といえます。
【参考文献】
もっと知りたい鳥獣戯画 (アート・ビギナーズ・コレクション)
鳥獣戯画 決定版: 「絵の原点」にふれる
鳥獣戯画のヒミツ
決定版 鳥獣戯画のすべて
カラー版 鳥獣戯画の世界 (宝島社新書)