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葛飾北斎は世界で一番有名な日本人だった。その画狂人の生涯に迫る。

  • 2020年1月24日
  • 2020年6月29日
  • 浮世絵
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葛飾北斎「自画像」

葛飾北斎は世界で最も有名な日本人といわれ、彼の作品は多くの美術館や博物館に収蔵されている。実際アメリカのライフ誌が1999年に発表した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に日本人として唯一ランクインした日本が誇る世界のスーパースターである。その生涯は波乱に満ちており、改名癖や転居癖など変人と呼ぶにふさわしい。そんな彼の画業に迫ってみたい。

北斎の生い立ち

葛飾北斎は1760年江戸の下町、現在の隅田川の近くに生まれる。 19歳で勝川春章という勝川派の開祖で役者似顔絵の先駆者のもとに入門し、役者絵や美人画、風俗画、相撲絵、浮絵などありとあらゆるジャンルの浮世絵を制作していった。

画風の確立と西洋技法の習得

35歳の時に勝川派を離れてから、北斎の画風は明確になり独自性が出てくる。享和から文化年間にかけての女性表現には瓜実顔(うりざねがお)の美人画が見られ、当時の画号、宗理にちなんで宗理型美人と呼ばれている。

また、西洋風の表現にも接近し、陰影法や遠近法などを積極的に取り入れていく。

北斎漫画の成功

葛飾北斎「北斎漫画」

50歳を過ぎてから北斎の代名詞となる「北斎漫画」を発表するようになる。もとは弟子たちへのお手本だったものが、いつしか北斎も制作にとりつかれてく。

実際「北斎漫画」では正確なデッサンやユーモア溢れる造形など北斎のエネルギーの源を知ることができる。この中で北斎は山水、人物、花鳥、鳥獣、楼閣などありとあらゆるものを描いている。

「北斎漫画」は日本での評価と同時にヨーロッパでも北斎の知名度を上げることになる。日本から輸出されたやきものの梱包材に使われていた「北斎漫画」は図らずも、遠く離れた極東の地の文化を海外に紹介する役割を持った。

富嶽三十六景で人気は不動のものに

葛飾北斎「神奈川沖浪裏(富嶽三十六景)」

そして北斎70代前半に描かれたのが、大傑作「富嶽三十六景」である。それまで浮世絵ではマイナーであった風景画というジャンルを一躍トップに押し上げたのだ。

この中で北斎は洋画の空間構成や読本挿絵で会得した躍動感などを遺憾なく発揮していく。中でも一番有名な「神奈川沖浪裏」は海外でも「The Great wave」の名で知られ大英博物館やメトロポリタン美術館などにも収蔵されている。

最晩年に残した名言

最晩年は肉筆画で身近にあるものを端正な構図と精緻な筆致で描いていった。そして100歳を超えても描き続ける目標を持っていたが、惜しくも88歳でこの世を去った。亡くなる間際に「天があと5年くれたら本当の絵師になることができた」と言ったという。

北斎の影響で西洋絵画の流れは変わった

北斎の特徴は並外れたデッサン力と緻密に計算された構成力にある。浮世絵技法をマスターし、狩野派の漢画様式、大和絵、中国系花鳥画様式、そして洋画技法などありとあらゆる筆法を取り入れ、それらを高い精度で統合していった。

北斎の浮世絵は日本から遠く離れたヨーロッパで高い評価を得ることになる。ジャポニズムと呼ばれるそれらの潮流は印象派の画家たちによる新たな表現の礎となった。

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