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ミケランジェロ「最後の審判」が西洋美術における最高傑作の一つといわれる理由

  • 2021年3月23日
  • 2021年3月23日
  • 西洋画
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ミケランジェロ「最後の審判」出典:Wikipedia

中央のキリストを中心に大小様々な人物がひしめき合う世界。実に400名以上の人々が喜びや怒り、絶望といった感情を表し、混沌と秩序が交錯する複雑な造形となっています。ミケランジェロの「最後の審判」(1536-1541年)はそのような圧倒的なスケール感で見るものに迫ってきます。

しかし、意外なことにその主題や造られたいきさつなどはあまり知られていません。西洋美術において決定的に重要な作品である「最後の審判」がなぜこれほどまで人々を魅了するのか、そしてミケランジェロが作品に込めた想いとは何なのか、じっくり解説していきます。

名作の理由 − 結論 −

ミケランジェロの「最後の審判」はキリスト教カトリックのシンボルであるサン・ピエトロ大聖堂に隣接するシスティーナ礼拝堂の祭壇画としてキリスト教における最も重要なシーンの一つを描いており、ほぼ全てをミケランジェロ一人で描いたという意味で空前絶後の作品です。

西洋古典の理想としての裸体表現、構図、時代を先取りしたスタイルなどルネサンスを超える革新的な表現が、今日においても高く評価される理由です。

ミケランジェロとは何者か?

「ミケランジェロの肖像画(ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ作)」出典:Wikipedia

「最後の審判」を解説する前にまず、ミケランジェロについて説明しないといけません。ミケランジェロ(1475-1564)はルネサンス期の彫刻家、画家、建築家でありルネサンスを代表する芸術家として「万能の人」と呼ぶにふさわしい活躍をしました。しかし、彼自身は自分のことを彫刻家であると自負しており、実際優れた彫刻作品を多く残しています。

有名な作品として「ダヴィデ像」や「モーゼ像」「ピエタ」などが挙げられます。しかし、彫刻作品と同じくらい優れた絵画も残しており、今回紹介する「最後の審判」はもちろん「システィーナ礼拝堂天井画」「聖家族」など彫刻と絵画の両面で優れた才能を発揮しました。

ミケランジェロ「ピエタ」出典:Wikipedia
ミケランジェロ「システィーナ礼拝堂天井画(部分)」出典:Wikipedia

ミケランジェロは彫刻、絵画においてダイナミックな人体造形と躍動的で複雑な構成を駆使し、ルネサンスを代表する芸術家として、まさに「万能の人」と呼ぶにふさわしい活躍をしました。

「最後の審判」とはどんな絵?

ロヒール・ファン・デル・ウェイデン「最後の審判」出典:Wikipedia

イエス・キリストが行う最終ジャッジメント

では「最後の審判」とはどのような内容なのでしょうか。聖書のマタイ伝には、世界の終わりに救世主であるイエス・キリストが再び地上に降りてきて、人々に裁きを下すとされています。全ての死者が墓から蘇り、生前に良い行いをした者には永遠の命を与え、悪い行いをした者は反対に地獄に落とされるのです。

ミケランジェロ「最後の審判(部分)」出典:Wikipedia

イエス・キリストから見て右側は「祝福された人たち」左側は「呪われた者ども」で、それぞれ天国と地獄に落ちる様が描かれています。英語の「right」が「右」と同時に「正しい」も意味するのはイエスの右側にいる人々が善良な人々を意味しているからです。

画面では審判を下すイエス・キリストを中心に約400名の人物がひしめき合っています。ミケランジェロは彫刻を彫る行為を素材に生命を吹き込む作業と考えていて、創造とは神に似た行為であると考えていました。絵画においても彼の関心は人体にあり、その力強く革新的な人体表現は新しいスタイルとして後世に多大な影響を与えました。

「最後の審判」が描かれたいきさつ

ミケランジェロ「システィーナ礼拝堂天井画」出典:Wikipedia

「最後の審判」が描かれる約30年ほど前、ミケランジェロはローマ法王ユリウス2世の命によりシスティーナ礼拝堂の天井画を描きます。周辺に5人の巫女(みこ)と7人の預言者を、中心部には旧約聖書の天地創造の物語を描きました。

驚くことにミケランジェロはこの天井画をほぼ一人で描き上げました。天井画は完成するや否や瞬く間に評判となります。特に最大のハイライトとされる「アダムの創造」では神がアダムに命を吹き込む場面が見事に描かれています。

そして天井画の完成から約30年後、ミケランジェロが60歳の頃にシスティーナ礼拝堂祭壇画の制作を依頼されます。祭壇画にはもともとペルジーノによる「聖母被昇天」が描かれており、ミケランジェロは当初元の絵を残すことを考えていましたが、教皇の強い意向で全面的に塗り潰すことになりました。

1535年から約6年の歳月をかけ今回もほぼ一人で「最後の審判」を描き上げました。縦約13メートル、横12メートルを超える超巨大壁画で、とても一人の人間がやったとは思えないスケール感と存在感があり、数世紀経た現在でも西洋美術に燦然と輝く作品として評価されています。

ミケランジェロの「最後の審判」はなぜ名画なのか?

ここまで、ミケランジェロの業績と「最後の審判」が描かれた経緯について解説してきましたが、ここからは具体的になぜこの作品が名画と呼ばれるのか、その理由を3つに分けて説明していきます。

1. システィーナ礼拝堂を飾る壁画

「システィーナ礼拝堂」出典:ヴァチカン美術館

「最後の審判」が称賛される理由の一つに、壁画が描かれた場所の優位性が挙げられます。システィーナ礼拝堂はローマ教皇ユリウス2世の伯父シクストゥス4世が建設したヴァチカンで最も権威のある礼拝堂で、宗教儀式やコンクラーヴェと呼ばれる教皇の選挙が行われる極めて神聖な場所です。

礼拝堂が位置するのはサン・ピエトロ大聖堂のすぐ隣で、この大聖堂こそがキリスト教カトリックの総本山であり現在、世界12億人以上の信徒を擁するキリスト教最大の教派です。特に中世以降キリスト教は絶大な権力を保持し、ヨーロッパ全土でキリスト教文化が花開きました。

「サン・ピエトロ大聖堂」出典:Wikipedia

「最後の審判」の制作時ミケランジェロは60歳になっていましたが、ローマ教皇クレメンス7世の命を受け、その後を継いだパウロ3世の依頼によりシスティーナ礼拝堂祭壇画の制作を開始します。16世紀イタリアにおける最高権力者から直接依頼を受けて制作されたという意味で作品の重要性はさらに高まります。

2. アーティストとしての仕事

職人から芸術家へ

「最後の審判」が名画である理由、その二つ目はアーティストとしての仕事ぶりにあります。ルネサンス以前、芸術家は単なる職人に過ぎませんでした。現代の感覚では違和感を感じるかもしれませんが、当時の画家は基本的に受注生産で仕事をすることがほとんどで、パワーバランスは画家より依頼者の方が圧倒的に強かったのです。

しかしルネサンス期、特に盛期ルネサンスと呼ばれる時代は画家の地位が少しずつ向上していきました。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロは特にその傾向が強いといえます。

実際「最後の審判」の制作に際しても教皇から再三にわたって依頼を受けていたミケランジェロですが、その依頼を何度も断り続け、制作のための足場が組まれようとしてもその説得が続けられたという記録が残っています。

システィーナ礼拝堂の天井画の制作時も同じように依頼者であるユリウス2世が制作を急がせるのですが、ミケランジェロは自分のペースを守りました。そこには教皇とミケランジェロとの間に強いきずなと信頼関係が見て取れます。このように盛期ルネサンスになると一部の画家は単なる職人の域を超え、時の権力者にも意見が言えるなど、今日でいうところの芸術家に近い存在となったのです。

完全な個人制作

ミケランジェロ「ダヴィデ像(部分)」出典:アカデミア美術館

また、ルネサンス期でも画家個人が全てを制作するというスタイルは稀で、多くは工房を構え複数人で制作するスタイルを取っていました。レオナルドもラファエロも工房制作で多くの作品を手掛けています。

しかし、ミケランジェロは生来の人間嫌いで頑固な一面があり、システィーナ礼拝堂の天井画や祭壇画はほぼ1人で描いています。「最後の審判」は縦13.7m、横12mの超巨大壁画で、天井画に至っては40m×14 mもあり、それを一人でこなすのは文字通り超人の域を超えています。実際、天井を見上げて描く辛さを嘆いたり、足場から転落し怪我を負ったりと様々な困難を乗り越えて、それぞれ4年半と6年の期間、孤独に絶えながら制作を続けました。

これこそまさに現代のアーティストにつながる制作スタイルといえます。困難な状況に敢えて挑戦し、結果誰もなし得ない高みに到達し、歴史に残る偉業を達成する。「最後の審判」は単なる職人ではなく芸術家と呼ばれるミケランジェロが前人未到の困難な状況を乗り越えて完成させた作品であるから名画と呼ばれているのです。

3. 構成、描写、様式が見事に組み合わさった圧倒的なスケール感

3つ目は、作品そのものに宿る圧倒的スケール感と描写力、新しい表現様式が挙げられます。

スケール感のある構成

ミケランジェロ「最後の審判(部分)」出典:Wikipedia

まずは描かれている内容から見てみましょう。
画面中央には審判を下すイエス・キリスト、その隣には聖母マリア、イエスの左隣には彼に鍵を渡そうとする聖ペテロ、その下には生皮を剥がされた聖バルトロメオがいます。彼は皮剥ぎの刑で殉教しておりそのシンボルとして生皮を持っていますが、ミケランジェロはそこに自画像として自分の顔を描きこみました。

ペテロは初代ローマ法王でイエスに最も信頼された弟子の一人です。画面の中ではその当時の法王であるパウロ3世がモデルとなっています。イエスの下にいて雲に乗る一群は翼のない天使たちです。ラッパを鳴らして最後の審判の到来を告げています。

その合図を受けて次々と死者たちが墓場から蘇っていきます。イエスの右下では土葬された遺体が魂を宿し画面上方へと昇っていきます。自力の者もいれば天使に連れられる者もいます。

それとは反対に左下では落下してゆく罪人たちが描かれています。両手を合わせて祈りながら落ちていく者、悪魔や蛇に引きずり降ろされる者など様々な人物が描かれています。

このように「最後の審判」ではイエス・キリストや主要使徒たちを中心にイエスから見て右に善人、左に悪人が描かれ、それぞれ上昇と下降の劇的なドラマを繰り広げます。イエスの合図と共に画面全体が渦巻くような躍動感のある場面が展開されているのです。

立体感のある描写

ミケランジェロは自分自身のことを彫刻家と自認していたので、絵画の制作は自分の仕事ではないと考えていました。しかし、結果的に当時の最高峰の画家と肩を並べる完璧な仕事をします。

ミケランジェロは幼くしてフィレンツェでもトップクラスの工房を構えるのギルランダイオのもとに弟子入りしています。そこで絵画の技法や制作のいろはを学びました。さらに当時のフィレンツェの権力者であったメディチ家の知遇を得て、メディチ家の古代彫刻コレクションを見たり、初期ルネサンス絵画の創始者であるマザッチョの壁画を模写したりするなど基礎教育を十分に受けています。

マザッチョ「貢の銭(部分)」出典:Wikipedia

特に皆を驚かせたのが人物を立体的に見せる「短縮法」にあります。ルネサンス芸術の特徴に立体的でより自然に見える表現法が挙げられますが、ミケランジェロの描く人物には、今まさにそこにいるかのようなリアリティーと身体の凹凸も含めた立体感があります。中央で手を振りかざすイエス・キリストの右手は体よりも手前にあるのがはっきりとわかるよう、陰影の付け方や角度のバランスが見事に描かれています。

ルネサンスからマニエリスムへの転換

「最後の審判」で描かれる人物はそのほとんどが筋肉ムキムキでふくよかな女性や地獄に落ちる人々も含め全ての人物がまるでボディービルダーのように筋骨隆々に描かれています。ここにはすでにマニエリスムの萌芽が見られます。

ミケランジェロ「最後の審判(部分)」出典:Wikipedia

マニエリスムとはルネサンスの後に興る芸術動向のことで、その特徴は引き伸ばされた人体プロポーション、誇張された遠近法や短縮法、そして歪んだ空間表現などが挙げられます。ルネサンス芸術では写実に基づく自然な表現が理想とされていましたが、ミケランジェロの「最後の審判」では、その理想を超えて芸術的技巧や誇張された人物比率などが画面全体を占めています。これはミケランジェロがルネサンス芸術を超えてマニエリスムという新たな芸術様式を開拓したことを意味しています。

時代の要請としての表現様式

ミケランジェロがそのような表現にたどり着いた理由の一つは先述のようにメディチ家の古代彫刻に影響を受けたことが挙げられます。たくましい肉体を持つ古代のヘレニズム彫刻は感情がこもった荒々しい肉体が特徴で、それに感銘を受けたミケランジェロは彫刻のみならず絵画でも筋骨隆々の力強い肉体を描くようになります。しかし、もう一つの理由はその当時のローマの状況が影響しています。

30年前に天井画を描いた時と「最後の審判」の間では政治的、宗教的状況が激変する出来事が起こっています。当時はルターの宗教改革や神聖ローマ皇帝カール5世による「ローマ劫掠(ごうりゃく)」など教会の権威は地に落ちていました。そこで教皇は宗教改革に対するシンボルとして人々の耳目を集める強力な力を持った傑作を求めたのです。それこそが「最後の審判」が厳格な裁きの姿勢と異端を許さぬ絶対的な権力誇示の表現となった理由です。

中央にいるイエス・キリストは威厳を持って人々を天国と地獄に振り分けます。それはあたかもカトリック教会が自分たちの権力を誇示するために「異端は許さない」「プロテスタントは地獄に落ちるぞ」と言っているかのようです。

物議をかもす影響力

いつの時代も名画と呼ばれる作品には賛否がつきものです。「最後の審判」も例外ではなく、完成当初から大きな物議を醸したのです。その最大の理由は裸体表現にありました。「最も神聖な場所に、みだらな裸体を描くとは何事か」と非難が絶えなかったといいます。

特にローマ教皇の儀典長であったビアジョ・ダ・チェゼーナは制作中から何かと文句を言い「風呂屋か売春宿にこそふさわしい」と非難していました。これに激怒したミケランジェロはビアジョを地獄の審判者ミノスとして描き仕返しをしました。

ミケランジェロ「最後の審判(部分・蛇に巻かれるビアジョ)」出典:Wikipedia

ミケランジェロは「人間は神の姿に似せて作られた者であり、この世界で真に美しく、また真実を語るものは裸体である」という信念を持っていました。つまり最後の審判の時、死者は神の前では何も隠せない、つまり全裸である必要があると考えていました。

しかし、非難の流れは変わらず16世紀の半ばの宗教会議で「目立ち過ぎる裸体には、腰布をつける」という決定がなされ、腰布や衣服が描き加えられました。その後も何度か手が加えられましたが、現在では19世紀の加筆は全て取り除かれています。しかし、16世紀の加筆は公会議の決定ということもあり一部は残されたままとなっています。

まとめ

ミケランジェロの「最後の審判」は西洋美術史に燦然と輝く傑作です。その理由はキリスト教カトリックの聖地であるサン・ピエトロ大聖堂に隣接するシスティーナ礼拝堂の祭壇画としてキリスト教における最も重要なシーンを描いており、そのほぼ全てをミケランジェロ一人で描いたという意味で芸術家の誕生を物語っています。

その他、裸体表現は賛美両論ありましたが、その裸体における躍動的な表現はルネサンスからマニエリスムへと時代を転換する新しい波となって後世に影響を与えました。


【参考文献】
もっと知りたいミケランジェロ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
神のごときミケランジェロ (とんぼの本)
ミケランジェロの生涯 (岩波文庫 赤 556-3)
ミケランジェロ (中公新書)

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