南画は江戸時代中期より中国からもたらされた絵画ジャンルで、日本でも盛んに描かれるようになった。その特徴は何とプロではなく素人が描いた画だった。中国では王侯貴族や官僚らが描くことが多く「文人画」と呼ばれたが、日本では武士や商人、農民といった身分に関係なく描かれ「文人画」の他に「南画」とも呼ばれた。プロではない素人が描く画はヘタウマとも評されるが、そこには表面的な描写ではなく作者の人間性そのものが描かれた。
南画の大成者、池大雅
南画といえばこの人、池大雅(いけのたいが)である。大雅は京都にて町人の子として生まれ、扇屋を経営すると室町時代の絵画や琳派、更には西洋画まで取り入れ独自の画風を確立。また、旅行好きだった大雅は自分の足で様々な場所へ行き、その風景を見たままに描いた。それは真景図と呼ばれ中国の模倣から脱却した伸びやかな線描が特徴である。「十便十宜図」は清時代の作家の詩を基に与謝蕪村との合作で作られ、中でも大雅の「釣便図」は自然との共生を楽しむ人間模様を自由気ままな筆致で伸びやかに描いた。
俳人としても活躍した与謝蕪村
池大雅と共に南画の大成者とされるのが与謝蕪村である。蕪村は摂津国(現在の大阪府)に生まれ、若い頃から俳諧を学び、松尾芭蕉や小林一茶と並ぶ江戸俳諧の巨匠ともされるが、中国画や日本古来の画、舶載画など様々な画を学び南画も制作していくようになる。特に晩年の「夜色楼台図」では冬の夜空を太く豪快な筆致で描き、寒さを感じさせない温もりのある風景画へと仕上げている。
南画と琴を愛でた浦上玉堂
浦上玉堂は備前岡山藩支藩の鴨方藩に生まれ、若い頃より学問や詩文、琴などを嗜む。50歳を過ぎてから脱藩し、以後は南画と琴を楽しむ風流三昧を送る。深い自然観をたたえた繊細な描写は国内のみならず海外でも人気で経営学者のピーター・F・ドラッガーも玉堂のコレクターとして知られる。また、川端康成は玉堂の「凍雲篩雪図」を何としても手に入れたいと借金をして手に入れたという逸話が残る。そこには冬の凍てつく寒空が詩情豊かに描かれており、玉堂の心象を重ねた繊細な描写が見られる。