空の青や海の青など自然界の至るところに存在する「青」。古来より人間は青の色に親しみや癒しを感じてきました。
また、日本人にはとりわけ青は人気の様です。藍染のファッションは江戸庶民の間で気軽に用いるアイテムでしたし、それが元で外国人は日本のカラーを「ジャパンブルー」と表現しました。それが理由かわかりませんが、サッカー日本代表は「サムライブルー」と呼ばれています。
では、その様な「青」のイメージはどこから来るのでしょう?
実は日本の青いイメージを決定付けたのは意外にも「浮世絵」だったのです。
浮世絵に使われた新しい顔料である「ベロ藍」が爆発的にヒットしたことで、日本に青が広まりました。今回はその「ベロ藍」について解説したいと思います。
「ベロ藍」は外国から持ち込まれた
「ベロ藍」とはプルシャン・ブルーのことで、18世紀初頭に現在のベルリン付近で開発された化学染料です。ベルリンから持ち込まれた藍なので「ベロ藍」と呼ばれました。
なぜ「ベロ藍」が必要だったのか
では、なぜベロ藍が持ち込まれたのでしょうか。実はそれには浮世絵の歴史が関係しているのです。浮世絵は庶民の間で大流行しましたが、初期の浮世絵は墨一色のモノクロでした。やがて丹絵や紅摺絵と発展し、やがて鈴木春信らの頃に多色摺りの錦絵が発明されたのです。この、カラーへの欲求はより美しい色味への追求となって表れます。
それまでの浮世絵では「青」といえば「本藍」と「露草」が多く用いられていました。本藍は蓼(たで)藍という草を発酵させたもので、露草は花を直接絞り出したものでした。露草などは透明感のある青が表現できましたが、水や湿気に弱く扱いにくかったといいます。
その点、ベロ藍は本藍や露草にはない、鮮やかな青味が出せ、薄くしても濃くしてもどちらも発色に優れていたのです。すでにヨーロッパで流行していたベロ藍はオランダ経由で日本に入ってきて、浮世絵の顔料として盛んに使われるようになりました。
「ベロ藍」といえば「冨嶽三十六景」
ベロ藍が使われた作品といえば、その筆頭に挙げられるのが葛飾北斎の「冨嶽三十六景」です。実は、このシリーズには「甲州石班沢」や「東都浅草本願寺」「常州牛堀」など「藍摺絵」と呼ばれるベロ藍と本藍を組み合わせた浮世絵が10点ありますが、空や水の表現に藍の濃淡を活かしたぼかしが使われるなど、印象的な仕上がりになってます。また、これらのシリーズには輪郭線にも本藍を用いるなど藍へのこだわりが徹底しています。
広重「東海道五十三次」にもベロ藍が使われた
北斎の「冨嶽三十六景」の発行から2年後、広重もベロ藍をふんだんに用いた浮世絵を発表します。それが「東海道五十三次」シリーズです。「沼津」や「見附」など、川や空にベロ藍の濃淡が上手く取り入れられ、叙情的な風景を作り出しています。広重の青は特にヨーロッパで人気となり、その青を讃えて「ヒロシゲブルー」と呼ばれました。
ジャポニズムにも多大な影響を与えた
日本の浮世絵は海外に渡り、そこで印象派の画家たちを驚かせます。彼らは浮世絵の大胆な構図はもちろん極端なデフォルメや平面的な造形等に関心を寄せましたが、中でも浮世絵の色彩には一際、驚いたようです。そして一挙にジャポニズムが興りました。
前述のようにヨーロッパの人々は広重の青を見て「ヒロシゲブルー」と称讃していますし、北斎の「神奈川沖浪裏」も日本美術の象徴として、その色鮮やかな青を印象に留めています。
藍色のことを「ジャパンブルー」と呼びます。明治初期、日本に来日したイギリス人科学者ロバート・ウィリアム・アトキンソンが日本中の至るところで藍染の衣装を見たことがきっかけで付けられた呼び名だそうですが、ヨーロッパに鮮烈な青のイメージを抱かせた浮世絵の「ベロ藍」があったから「ジャパンブルー」という言葉も生まれたのではないでしょうか。