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「最後の晩餐」はなぜ剥落してしまったのか?

  • 2020年6月18日
  • 2020年6月29日
  • 西洋画
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レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐(修復前)」

「最後の晩餐」はレオナルド・ダ・ヴィンチが40代に描いたもので、西洋美術史上最も人気のある作品の一つです。しかし「最後の晩餐」はダ・ヴィンチが存命中から剥落などの損傷がみられ、その都度修復が行われてきました。では、なぜそのような損傷が起きたのでしょうか。その原因について解説します。

テンペラで描かれた壁画

結論から申し上げると「最後の晩餐」はその当時、一般的に壁画に用いられたフレスコ技法ではなく、テンペラという技法で制作されたからなのです。

なぜテンペラを選んだのか?

その当時、壁画や天井画に使われていたのはフレスコという技法でした。フレスコでは、まず漆喰を塗り、その漆喰が乾く前に顔料をのせます。漆喰が乾燥すると壁と絵が一体となり長期間の保存が可能となるのです。しかし、使用できる顔料に制限があることや、漆喰が乾くまでの数時間のうちに色を載せなければならないこと、また重ね塗りや塗り直しなどができないなど、多くのデメリットがあります。

一方、テンペラは、卵やニカワ、植物性油を溶剤として顔料を混ぜ、壁などに塗り定着させていく技法で、時間的に自由度が高く、重ね塗りや塗り直しなどが容易にできます。しかし、テンペラ画は温度や湿度の変化に弱いというデメリットがあります。

ダ・ヴィンチは乾いた漆喰の上にテンペラと油彩の混合技法で「最後の晩餐」を描きました。完璧主義だったダ・ヴィンチはフレスコを嫌い、自分の得意とする重ね塗りや描き直しが自由にできるテンペラ技法を選んだのです。

なぜダ・ヴィンチが存命中に剥落が起きたのか?

「最後の晩餐」はダ・ヴィンチが43歳の時に描き始め、約3年の歳月をかけて完成させました。しかし、完成から20年を過ぎたころから剥落などの損傷が現れ始めます。なぜそのようなことになったのでしょうか。

実は「最後の晩餐」が描かれた場所はイタリア、ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の食堂でした。当然、食べ物の湿気や湯気などが原因で壁画は損傷していきました。

度重なる修復が更なる剥落を生んだ

16世紀から19世紀にかけて幾度となく修復が行われましたが、それが逆に損傷を広げる結果となってしまいました。当時の修復家が使ったニカワや樹脂が原因で通気性が悪くなり、その結果、壁面からカビが生え、ニカワもろとも剥落したのです。また、ある修復家は壁画自体を壁から剥がそうとして、壁面に大きな傷を残したといいます。
17世紀には、壁画下に新しい通路を造った際に、画面下部を完全に取っ払ってしまい、現在もその部分は失われたままとなっています。また、2度の洪水で壁画自体が水に浸る事故も起きています。

空爆であわや消滅の危機

戦時下ではあわや消滅の危機にも遭っています。1943年にアメリカが行ったミラノ空爆により食堂の屋根が半壊し、あわや消滅かという危機が訪れます。しかし、修道士たちが土嚢や足場を組んでいたおかげでなんとか被災を免れました。しかし、その後3年間は屋根のない状態で放置されていたこともあり、損傷が進む結果となりました。

20世紀の修復で新事実が発見される

レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐(修復後)」

1977年から22年をかけて大規模な修復が行われ、表面の汚れや加筆された箇所の洗浄、除去が行われました。そしてダ・ヴィンチが描いた当時の様子が分かったのです。それによると、一点透視図法の消失点に当たるキリストの右のこめかみに釘の跡が発見されました。また、食卓に並ぶメインディッシュが魚だったことや、背景の左右の壁には当時流行していた花柄のタペストリーが掛けられていることもわかりました。


この様に見てみると「最後の晩餐」は存在していること自体が奇跡なくらい、多くの危機に直面していたことがわかります。名画とされる作品は多くの幸運が重なって今に至るのかもしれません。ダ・ヴィンチが描いた当初の様子がどんなものだったのか、今は誰も知ることが出来ないのが残念です。

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